2024年8月8日木曜日

会社を辞めて 貧乏な暮らしを楽しむ

 ビートたけしさんが浅草時代を懐かしんでかつて暮らしていた3畳のアパートや安い飲み屋を訪ね歩くというテレビの番組をYoutubeで見たことがある。その時たけしさんが言っていた「昔は浅草座で月数万円くらいのお金をもらっていれば、なんとか暮らしていけて、誰かが奢ってくれて酒も飲めたな」というようなことを言っていたことを強く記憶している。その時に「鯨屋」という浅草の一杯飲み屋を訪ねていて、これはたけしさんの歌にも出ている。

 「学生時代のような生活をしたい」と思ったのは、この番組を見た事がきっかけで、じわじわと自分の中に浸透していったのだと思う。去年こどもたちが手を離れて、夫婦2人で借りていた一軒家をどうするか考えた時、妻とは別居して安いアパートに引っ越すことにした。妻は妻ですぐ近くに別のアパートを借りた。妻とは時々一緒にご飯を食べたりする距離感だ。

 学生時代のように「月10万円くらいで生活して、本を読んだり勉強したり、友達を遊んだり、アルバイトをしたりという生活を送りたい」というのが別居生活スタート時の目標だった。ただその時はまだ会社員を辞める、ということを明確に考えていたわけではなかったけど、運命の悪戯で、定年を2年余り残して会社員を辞めることにした。

 そんな訳で、今はハローワークに通って、失業手当をもらって生活しています。まだ、会社員時代の収入をもとにした地方税や国民年金、健康保険が高いので、とても10万円では暮らせないですが、徐々に小さな経済生活にしていきたい。車もまだ維持しているので、月15万円ぐらいで緩く生きていくのが今の目標。30数年前に学生寮で生活して頃の気持ちをもう一度持って、「貧乏な生活」を楽しみたい。50代後半にオモロイことして見ようと思います。

 芥川賞作家で最近亡くなった西村賢太さんと石原慎太郎東京都知事(当時)の対談をYoutubeで見た。これがたまたま「貧乏はよかった」というテーマ。西村さんは、日雇い労働をしながら、極貧のその日暮らしを私小説として書いてきて、芥川賞を受賞してからはお金持ちになった、というけれど、30年以上貧乏生活をしてきた人。石原元知事はもちろん「お金持ち」なのだろうけど、大学の寮生活で味わった貧乏な暮らしがとても楽しかった、ということで対談のテーマが作られていた。石原さんは芥川賞選考委員で西村さんの作品を非常に高く評価してきたそうだ。

 広告の波にどっぷんどっぷん浸って、ひたすらお金が欲しい、高いものが欲しい、という列車から飛び降りて、貧乏生活を楽しみたい。ということで最低限の生活費を稼ぐために、正社員ではない仕事を探している。中年フリーターになる予定。


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