2023年10月30日月曜日

いま日本人のエトスは何か

 小室直樹博士によると特定の共同体の行動様式をエトス(ethos)という。明治以降太平洋戦争前には、天皇制を頂点とし、農村共同体を底辺とするものが日本人のエトスを象っていたと分析する。それが敗戦により天皇が人間宣言をし、昭和30年代からの高度経済成長により、農村が解体され、共同体としてのエトスがなくなり、急性アノミーに陥りそうになる。その受け皿が日本の場合、機能集団である「会社(企業)」となった。営利を求めることを目的とした株式会社が、共同体として機能することになり、終身雇用制に代表されるような「人生のほぼすべての目的が会社の繁栄」というようなサラリーマン人間が生まれたのである。

 しかし平成に入り、小泉構造改革で、派遣社員という働き方が進められ、労働者が2分化され、派遣社員が派遣される企業が属する共同体となることはない。また、農村社会は事実上破壊されているのだから、現在の日本人に企業体以外の共同体は基本的にはない。一部の正社員にとっては依然、会社が所属する共同体ではあり、そのエトスが会社組織の利益追求であるが、派遣社員または社会が2分化してから成人した人間にとっては、所属する共同体がないのである。「転職が当たり前になった」世代(特に都会の就労者)にそれが如実に浮かび上がる。つまり、所属する共同体がなく、従ってエトスがない。小室博士流にいうと「現在の日本は急性アノミー(社会的規範の喪失)に陥っている」のである。

 小室博士によると、西洋社会のエトスはキリスト教に代表される信仰する宗教によって規定される。また中国は、「宗族」という同じ性を持ち共通の祭礼を執り行う集団を縦糸とし、「帮」と呼ばれる人間関係が横糸であるという。日本人のエトスは、戦前戦中は協同労働集団である農村社会と天皇制であり、戦後平成の初めまでは終身雇用制を特徴とする機能集団である「会社」が共同体となった。しかし、いまの日本はその「会社」が共同体たりえなくなってきていて、急性アノミーに陥らんとしているのではないか。

 平成の初めに社会人になったわたしはあと数年で60歳の定年を迎えるものであるが、子どもの世代を見るにつけ、また社会の様子を見るにつけそう思う。その一方で、日本人は共同体を持たない流浪人となりつつあるものの、行動様式を規定している残ったものがある。それが空気(ニューマ、pnyuma)である。自分の判断より前に、周りの空気を読んで周りに合わせた行動を取る。所属する共同体がなくなった半数ほどの人々がニューマで行動する社会がいまの日本ではないか。そして残りの半分は、終身雇用制のまま社会をリタイアした高齢者で、これもまたニューマで動いている。

 となると、構成割合が少ないものの、共同体を持たず空気で動く現役労働世代が、急性アノミーから脱出する社会構造が必要となる。それが出てくるか、それとも社会が衰退の一途を辿るか、いずれか。前者の動きが出てきそうだと、わたしは思う。



0 件のコメント:

コメントを投稿